親の心、子知らず

私たち夫婦は、40歳にして子宝に恵まれ、息子も7ヶ月になりましたが、おかげさまで元気に育ってくれています。

かなりの難産だったことを思うと、本当にありがたいことで、毎日感謝の気持ちでいっぱいです。

 

もちろん、日々の瞬間、瞬間では忙殺され、我を忘れて忙しく、バタバタすることがとても多いですが、一日の始まりと終わりには、無事に朝を迎えられたことや、無事に一日を終われたことに、良かったなぁとしみじみ思うようになりました。ちょっと、おじいさんみたいですね(笑)。

その一方で、晩婚・晩産である自分たちの状況を思い知らされることも増えてきました。

 

40代後半の知人と話していたときのことです。

彼は、奥さまと共働きで、3人の子どもを育ててきて、あと少しで3人目のお子さんも社会人になるそうです。

教育費などの出費はすごかったようで、「この前も、ようやく貯めた100万円が右から左へ出ていった」と言っていました。

数年後に、やっと、自身たちの老後資金を貯め始められるということでした。

 

この知人は、結婚が比較的早かったので、子どもさんの教育費が落ち着いてから、自身たちの老後資金への対応をする時間があるため、まだ良いのだなと思い知らされた気がします。

考えてみれば、当たり前すぎることなのですが、私たちは、その2つが完全に重なってしまいます。

順調に進んで、子どもが大学生になる頃には、還暦間近になります。

 

これが、30歳前後で結婚した夫婦と40歳前後で結婚した夫婦の違いですね・・・。

そう考えると、私を含め、3人の子どもを大学まで行かせてくれた両親も、大変だっただろうなぁと、この歳になって改めて、実感します。

若いときは、親に対して反抗したり、良かれと思ってしてくれることも面倒だと思ったり、随分、勝手なことをしていたなぁと思い知らされます。

 

まさに、親の心、子知らず、です。

 

それと同時に、今、本当に無邪気に泣いたり笑ったりして、かわいくて仕方がない息子を、ちゃんと一人前の人間に育てる責任の重さを、改めて強く感じるようになってきましたし、彼が成長したときに、迷惑をかけないように、自分たちの老後への準備も頑張らなければと痛感する、今日この頃です。

結婚するときは結婚することだけに、子どもが生まれるときは何とか無事に生まれてくれるために、一生懸命頑張っていましたが、今さらながら、将来に備えることの大切さを強く感じ始めました。

周りを見渡すと、数えきれないくらいの家庭があり、無事に過ごせることが当たり前のような錯覚に陥りがちですが、決してそんなことはなく、皆さん一人一人が必死に生きてらっしゃるのですよね。

 

これって、「みんなが結婚しているから、自分もそのうち結婚できる」と浅はかに思っていた若い頃の感覚と似ている気がします。

子どもが無事に生まれてきてくれて、無事に育っていくということが、決して当然のことではなく、まさに、周りに支えられてこその成長なのだなぁと思うと同時に、自分たちがしっかりした意思を持つことが本当に大切であると強く感じます。

 

この歳になって、親になることの大変さを実感している自分が、かなり恥ずかしいです。

実際に、親になってみないと分からないことだらけなので、仕方ないと言えばそれまでかもしれませんが、もう少し想像力を働かせられても良かったなと思ってしまいますね。

 

この気持ちを心に刻み、最低限の躾けはしっかり行いつつ、私たちも、子どもに求めるのではなく、主体性を伸ばしてあげられるような子育てを目指そうと思います。

人間として成長できる大きなチャンスでもあると思いますので、親への恩を子どもに返すつもりで、ますます頑張ります!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次